- 2013年5月17日(金) 2回目の探偵調査が実施される
- 2013年5月18日(土) 次男、長女と浜名湖パルパルへ行く
- 2013年5月19日(日) 探偵調査員から真黒との報告が入り調査終了となる
- 2013年5月24日(金) 団地を申し込もうとする妻
- 2013年5月25日(土) 保育園運動会
- 2013年5月26日(日) 子供に「引越しをする」と話してしまう妻
- 2013年6月1日(土) 妻の作ったおにぎりを体が受け付けない
- 2013年6月2日(日) 長男、次男とサーフィンへ行く
- 2013年6月3日(月) 別居生活は無意味と思い自宅へ戻ることを決意する
- 2013年6月7日(金) 子供達にパパが戻ることを話す
- 2013年6月8日(土) 荷物を自宅へ運ぶ
- 2013年6月9日(日) 『男がいたら親権を放棄する』と念書を書かせる。
- 2013年6月10日(月) 1泊だけしてまた実家に戻る
2013年5月17日(金) 2回目の探偵調査が実施される
今週末も子供達が私の実家に泊まりに来ることになっていたので探偵に2回目の調査を数日前に依頼した。
金曜日の夜から次男、長女は私の実家へ泊まりに来る。
長男は翌日18日(土)は中学校の年に1度ある土曜参観のため今日はお泊まりは無し。
この日の夜に妻から「〇〇(長男の名前)は明日参観会終わったら自転車で〇〇(私の実家)へ行かせる。」「日曜日は部活があるから送って」とメールが送られてくる。
この日の夜、探偵の調査員から「妻、男と接触」程度のメッセージが届いた。
それ以上の連絡はなかった。
2013年5月18日(土) 次男、長女と浜名湖パルパルへ行く
長男は参観会と部活のため、次男と長女を連れて「浜名湖パルパル」へ遊びに行く。
子供達はめちゃくちゃ楽しんでいました。
2013年5月19日(日) 探偵調査員から真黒との報告が入り調査終了となる
長男の部活が終わってから子供3人と私の母親を連れて海へサーフィンへ行く。
帰り道忘れ物を取りに自宅へ寄る。
妻はもちろん家には居ない。
家は散らかり放題、洗濯もしていない、長男の弁当箱、水筒、上靴も洗わずに男の所へ行っている。
私の母もさすがにこの光景にはショックと受けていた。
そしてこの日の夜、探偵の調査員から調査終了の連絡が入った。
結果は真っ黒という事が分かり今すぐにでも妻に問い詰めたいが、探偵事務所から「もう少し泳がせてても良い」「調査の報告書が出来るまでもう少し待って」の言葉から、それに従い内に秘める我慢の生活が続いた。
2013年5月24日(金) 団地を申し込もうとする妻
妻から「明日の〇〇(長女の名前)の運動会見に来て」とメールが届く。
明日は運動会を観に行くので「運動会終わったらそのまま私の実家に子供達を泊まらせたい」とメールを送りお願いするが、
「子供達は、来週の〇〇(次男の名前)の運動会の後、パパの所に泊まりたいと言っているからお泊まりは来週」と断りのメールの返事が来た。
立て続けに「〇〇(次男の名前)の運動会の時、お弁当は一緒に作ってく?」
「来月になったら団地申し込む。考えてくれない?」とメールが送られてきた。
2013年5月25日(土) 保育園運動会
長女の運動会の後、子供3人と海へ行く。
前日にお泊まりは断られたが「今日は帰りの時間が遅くなるから子供達は海へ行ってそのまま私の実家でお泊まりでもよいか?」とメールにて再度確認するがダメと言われた。
「それなら来週お泊まりを止めるから、今週お泊まりとさせて。」と言ったらお泊まりの許可が出た。(来週は男の所へ会いに行く日か?来週は子供達が居たら都合が悪いのか?子供達を男と会う都合でお泊まりを決めていると思えた)
2013年5月26日(日) 子供に「引越しをする」と話してしまう妻
私と長男と次男でサーフィンへ行く。
長女は実家でじいじとばあばとお留守番をしていた。
朝7時20分忘れ物を取りに自宅へ寄るが妻の姿なし。自家用車もなし。
夜、長女から「パパが〇〇(自宅の町名)帰ってきたら、〇〇ちゃんち(長女の一人称)引っ越すだって。ってママが言ってた」と私に言ってきた。
「〇〇(長女の名前)ちゃんはパパと暮らさないの?」と聞いてみたら
「パパと暮らしたいけど、ママがうるさいもん」
「「引っ越してからもお泊まりは出来るから」ってママが言ってた」と言っていた。
妻は離婚後、親権を取った場合週末は子供を私に預け、男と会う生活が考えられた。
2013年6月1日(土) 妻の作ったおにぎりを体が受け付けない
次男、小学校の運動会。
私は妻、長女とは離れた場所からひとりで応援をしていたが、長女が私の姿を確認するとそれ以降は私とずっと一緒にいた。
お昼のお弁当は私、妻、次男、長女の全員で一緒に食べた。
不貞行為の男とたくさん触れ合っている手で握ったおにぎりはとても食べられたものではないので、ほとんど口にしないで昼食は終えた。
「体が受け付けない」とはまさにこういった事だ。
長女はずっと私と一緒にいた。
ママの所へは一瞬たりとも行こうとはしない。
運動会が終わり、今週末も子供達は私の元へお泊りなので私は次男と長女とともに実家へ帰る。
長男はこの日は夕方まで部活。
長男は部活終了後自宅へ帰ったがママが居ないとのこと。
長男は「自転車ではつまらない」との理由でスケートボードに乗って私の実家へ行くことをママに電話で伝えて自宅から私の実家へスケートボードに乗って来てしまった。(距離にして約4km)
何故スケートボードで行く事を止めないのか?
何故子供が部活から帰ってくるのを家で迎えてあげないのか?
私は長男に「危険だからスケボーでは来てはダメ」と叱った。
夜21時30分頃、私、子供3人、両親みんなで外食し、帰りの通り道で自宅の前を通ったが家は真っ暗だった。
長女は「お家まっくらだった。ママ居ないね」と言っていた。
2013年6月2日(日) 長男、次男とサーフィンへ行く
長男、次男とサーフィンへ行く。
先週子供達を自宅へ送るのが遅く妻から怒られたため、今日は早め(19時頃)に送るつもりで「今から送るよ」と妻へメールを送り実家を出た。
自宅へ向かう途中「明日、〇〇(次男の名前)のお弁当だったのを思い出したから今からスーパー行ってくる」と妻からメールを受信する。
そのため送っても家には妻が居ないので時間をつぶすため子供達とドライブ。
少し時間をつぶし自宅へ行くが妻の姿なし。
しかし自転車と車はある。
どこに行っているか電話で確認すると「T君のママと薬局へ来てる」と返答。本当か?
でかいバックを持って帰ってくる姿を見られたくないのか、妻から「帰るのにもう少し時間掛かるから子供達3人置いて行ってくれればいいよ」とも言っていた。
子供達だけ置いて行って心配ではないのか?
結局、再度時間つぶしのドライブへ行って妻が家にいるのを確認して子供達を送り届けた。
2013年6月3日(月) 別居生活は無意味と思い自宅へ戻ることを決意する
子供達から今週末、7日(金)の夜からパパの所へお泊まりに行くの電話あり。
「来週子供手当入るから全額よこして」と妻からメールにて請求される。
必要な分だけ渡すとメールで伝えると、「わたしが毎日見てるんだから全額貰うのは当たり前でしょ!貯金できないし」とのメール受信。
子供をお金目当てで面倒を見てるとも感じた。
さらにこの後立て続けに、
「もうマジで離婚して」
「この結婚生活はなんだったの?いままでの生活かえしてよ」とメールが送られてくる。
このメールを受信し、とてつもなく腹が立つ。
冷却期間としての別居生活なんて全然無意味。
私が子供達と離れる必要はない。と考えもう自宅へ戻ることを決意した。
2013年6月7日(金) 子供達にパパが戻ることを話す
今週末も子供3人実家へ泊まりにくる。
子供達にはパパが自宅へ戻る事を話す。
子供達はとても喜ぶ。
21時30分頃自宅へ様子を見に行くが妻の姿なし。
2013年6月8日(土) 荷物を自宅へ運ぶ
自宅には妻の姿はないためテレビやパソコン等、別居生活を始めた時に運んだ少しの荷物を実家から自宅へ運ぶ。
2013年6月9日(日) 『男がいたら親権を放棄する』と念書を書かせる。
3日(月)の受信メールにて別居の意味はないと判断し、私は逆に妻が一人で自宅から出て行く事を期待してこの日の朝から子供達を連れて自宅での生活へ戻った。
この時は妻はどこかに出かけていて居なかった。
2月24日から105日振りに我が家での生活を送ることとなった。
戻る事は妻に事前にメールで伝えてあったが本当に戻るとは思っていなかったのだろうか、自宅へ戻った事をメールにて伝えるとどこからか急いで帰って来た。
妻からは私へ「勝手な事しないで」「勝手なことしないで」「実家へ戻って」「実家へ戻って」ばかり。
妻は第三者も交えて話すと言うことで妻の母親に電話をしていた。
私は妻の母親とも電話で話し、罵声を浴びせられたり人格を否定されるような事を言われた。
またこの時、妻は「男がいたら親権を放棄する」と誓って言った。
念書も書いてもらった。(念書は探偵事務所からのアドバイスで、書かせておくと良いと言われた)
念書はその辺に置いてあるA4サイズの用紙の裏紙に
男なんかいない いたら親権放棄します
平成25年6月9日 〇〇〇〇(氏名)
と書いてもらった。
妻は、妻の母親との電話の中で「離婚」「離婚」などの言葉を大声で言うので長男はそばでそれを聞いていて泣いていた。
結局、妻は納得いってないようだが(妻の)母との話もあり、私が家に戻る事を了承した。
話の最後に明日の朝のパンを買ってきてと言われ子供3人と一緒に歩いてパンを買いに行った。
この時の一部始終はボイスレコーダーに録音を残した。
(ボイスレコーダーは以降役立つような場面はなかったです)
この日は険悪な雰囲気だが私は自宅へ泊まった。
2013年6月10日(月) 1泊だけしてまた実家に戻る
昨日半ば強引に自宅へ戻ったが、やはり家の雰囲気も良くなく、夫婦間でケンカばかりで子供達にも良くないと思い再び私はひとりで実家へ戻る。
105日ぶりの我が家での生活は1泊しただけとなってしまった。
再度テレビ等の少しの荷物を実家に運んだ。